仮に、アメリカに日本の寿司職人が来たとして、
1)彼らは、一流の職人か?たぶん違う。
日本人のフレンチのシェフはフランスに修行に行くけれど。フランス人シェフがわざわざ日本でフランス料理を学ぶために来日するか?たぶん来ない。
一流は、本場に行きたがるけど、逆はない。つまり、アメリカに一流の寿司職人は来ない。
スパイダーロールとか、カリフォルニアロールとか学びたかったら来る?
2)一流の寿司職人が求めるものの一つに、客がある。
人は、褒められたい生き物だ。腕が上がれば上がるほど、自分の能力が研ぎ澄まされた分、他人にもその違いを気づいてほしいはずだ。
アメリカで寿司を食べる客のどれほどが、その舌を持っているか?
割合で言ったら、圧倒的に日本の客層の方が、味のわかる舌を持っている可能性は高いだろう。
人は、人に育てられる。
絶妙な違いを語る客は、職人を育てる。
言い換えれば、
3)来た時に一流かどうかは別としても、年月が一流を育てない。かつ、一流でなくなる可能性もはらむ
結果、環境が一流の寿司職人を育てない。可能性が高い。
つまり、アメリカの寿司が美味しいといえる環境要因はほとんどない。