自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

サウス・アフリカンから見る英語の違い

日本語の敬語ほどではないけれど、英語にも丁寧語は存在する。
例えば、日本語で、


明日までに、この作業をお願いします。


といった場合には、全く失礼ではないし、会社の中で上司が部下に命令するのはごくごく自然な流れ。であるけれど、英語で、そのまま、


Please make this by tomorrow.


と伝えたら、地域によっては失礼な言い方になる。
では、どう言ったらいいのか?


Could you make this by tomorrow?


疑問形にして、相手に回答の余地を与えれば良いだけ。Orderではなく、Requestである必要がある。と初めて、NHKのラジオ英語で、この表現を聞いたときには、へぇーそういうものなんだ。と感心をしたけれど、意外とこの常識は、アメリカの常識であって、世界の英語の常識ではないことを最近知った。


今の職場環境には、サウスアフリカ系の白人が多数いる。母国語はアフリカーンという言語らしいが、ハイソな彼らは、小さい頃から英語教育を受けていて、ほぼネイティブのように英語を使っているが、アメリカ英語とはまた違う。
例えば、


You have to give me a pen just now.


というのを普通に訳せば、いますぐにそのペンを渡しなさい。であるけれど、彼らの英語では、そのペンとってくれる?程度の話。”Just now"は時間のあるときに。”マジ?”と耳を疑ったけれど、そういうことらしいし、アメリカ英語では相当に強い命令形である”Have to"に強い命令の意味はない。。。


じゃあ、本当に今すぐ欲しいときは?”Now now"といえばいいらしい。。。ほぅ。。。


その対極に位置するのが、イギリス英語。Have to なんて論外だけでなく、例えば、アメリカ英語のように、カジュアルな関係で、


Give me the pen, (please)


もそれなりに、失礼らしい。Could you, Can you, + Please. が平常運転。アメリカ英語の大学生英語で始まった私の英語は、大人になってイギリス留学したときには、相当に引かれた。。。すみませんね。粗野な英語で。ってな感じでした。。。


所変われば英語も変わる。言語って難しいわ。ただし、声のトーンだったり、気持ちの問題だったりもするので、通じればいいって話もあるし、外国人の話す英語をマジに受け止めて怒り狂うような人たちは放っておけばいい。ただ、郷にいれば郷にしたがえ。「こんにちは、I am John Smith」と日本語の挨拶で始める外国人の心証がいいように、できる限り、相手の文化に合わせて話すことは心がけています。

過労死寸前まで働く ホテル余談

大阪出張で、15泊違うホテルに宿泊した理由は、
単純にいろいろなホテルに泊まってみたかったから。


さすがに、今回はユース系には泊まりませんでしたけど、ビジネスホテルから、高級ホテルまで、もちろん社内旅費規定の範囲外は自腹も切って、泊まってみました。


第一位 大阪帝国ホテル
深夜1時過ぎにチェックイン。クリスマス時期のデコレーションがアットホームで、ロビーに入った瞬間にめっちゃ癒やされた。さらに、フロントの丁寧な対応。深夜チェックインの私を気の毒に思ったのか、格安プランでの申込みだったにもかかわらず、「レイトチェックアウトになさいますか?」と声をかけてくれた。残念ながら、朝9時半には出ないと間に合わないので、お断りしましたが。プランに関わらず、丁寧な対応をしてくれたホテルマンに素敵なロビー。あーまた宿泊したい。と思いました。


第二位 マリオット都ホテル
全般的にマリオットグループのホテルが好きです。理由は、インテリアのセンスが好みだから。シンプルで、洗練されている。あまりに洗練されすぎていて、テレビのリモコンが探せなかった。。。
そして、何より、ベッドが最高に気持ちいい。ウェスティンのヘブンリーベッドも良かったけれど、ここのベッドが気持ちよすぎて、自宅のベッドの買い替えのときには、シーリーに行って大阪マリオットに一番近いベッドをください。と注文したほど、よかったです。

過労死寸前まで働く

今、振り返ってみて、一生懸命働いた。
あのときは、脳みそが切れそうで、体力が限界で、死ぬかと思った。


と思ったことが何回かある。


コンサルティングというのは、クライアント付加価値がすべてのサービスで、時間単価は数万円~。その価値を短期間でパワーポイントに落としこみ、プレゼンするのは簡単ではない。


よって、能力の欠如や課題の困難性、短納期などは、労働時間でカバーするしかなく、ときに時給換算するとマクドナルド以下じゃない?と言われることがあるほどに、長時間労働であることも多い。


逆に言えば、能力が高く、超効率的なリサーチや分析、高度な知識により、一瞬で解決しても、同一の成果物が提出できるのであれば、誰にも文句は言われない。


ということで、
知識も経験もないコンサルタントになりたてというのは、常に時間との戦いであったりする。


激務その1 脳みそが瀕死
期間: 1.5ヶ月
出張: 15回(東京-大阪)
就業: 朝10時ごろから概ね終電、週イチでタクシーくらい
余興: 大阪15泊すべて違うホテルに宿泊
症状: 
常に頭が目覚めていて、血管がパンパンに張っているんだろうなという自覚症状が出現。頭が常に飽和していて、動かすと破裂するんじゃないかな~という危機感があり、あーこのまま続けるときっと過労死するんだろうな~と。ハイの状態とは異なって、興奮がない。興奮がないのに、緊張がある。続けると死ぬか?という怖さがあった。


激務その2 体力の限界
期間: 6ヶ月
就業: 朝10時ごろから概ね終電、再繁忙期の1ヶ月は2日に一回タクシー3回早朝メーター
余興: 朝か昼休みに20分~30分インドアゴルフ
症状: 
冬休み2週間ほぼ起きられず。実家でご飯を食べ、昼はこたつで、夜は布団で睡眠。まさに冬眠?冬眠はご飯食べないか笑。リアルに回復しなかったし、動けなかっった。こちらは長期なので、脳みそが切れるんじゃないかという心配はなかったけれど、体に蓄積された疲労がまったく回復しなかった。こちらで過労死があるとすると体の憔悴によるものだと思う。脳みそは至って元気だけれど、体力が追いついていない感じ。


体力も、知力も最大限使うことがあっても、限界点まで使った上に過労死することはないのだろうと過信するのは、常に仕事以外の余興スペースを持っていることだと思う。


どんなに激務でも、睡眠時間を削ってでも、”楽しい”と思える瞬間を生活に織り込むことで、心に余裕が生まれ、最悪の事態を回避しているのではないかと思うが、ただの過信なので、実際は死ぬかもしれない。と同時に、病は気から、なので信じれば、死なないかもしれない。


仕事の内容そのものは面白く、好きな仕事であるので、長時間労働もより良いものを作りたいというポジティブ思考からくるものなので、強制労働ではない。それでも、体力の知力を酷使すると臨界点を見ることはあるのではないかと思う。


いくら仕事が好きでも、働きすぎには気をつけよう。とは思うけれど、やっぱりその場になったら、できることを全部やりたい。と思ってしまうんだろうな。とも思う。