自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

年収と幸福の相関関係 記事追加分析2

続き


可処分所得でいえば、スポーツ選手とか、お気の毒だなと思う。もちろん、その後の人生で、きちんと成果を出せる人は(例えば、キャスターとか、評論家とか、著者とかになれれば)いいけど、ピーク時にしか稼げない人は、税金たくさん持ってかれて、気の毒だと思う。


つまり、毎年、1000万円ずつ稼いでいれば、せいぜい、25%から30%くらいにしかかからないから、1億円に対して、税額は2000~3000万円。に対して、1年で、9000万円稼いで、半分持っていかれて、残りの9年で1000万円稼いだら、税額は4500万円。倍だ⚠


圧倒的に可処分所得が変わる。。。。お気の毒。。。


だから、年収1億以上も、稼ぎ方は置いといたとしても、継続的な収入であることが、お金持ちの条件の一つだろうと思う。



当てはめ


私の収入は、というと、学生時代の時給数百円から始まって、初任給20万円を経て、今は、余裕のある生活をしている。特に、養うべき人がいるわけではない私の収入は、税金控除がほとんどされていないから割高だけど、夫婦や子供がいる場合に比べたら、自分ひとりのために使えるお金は多い。


で、収入による幸福度が変わったか?というと、まさに、記事の分析のとおりだと思う。
年収が上がる度に、変わるわけじゃない。もう少し言えば、個人的には400万円を超えたくらいから収入そのものに対する幸福度は、変わってない気がする。


もともと、工夫も、自炊も、DIYも大好きな私は、無駄遣いはあまりしない。でも、ちょっとずつ、気にする金額が大きくなっているのも実感している。ついでに、エコだから、物質は大切にしている。


例えば、ほうれん草が、99円だろうと、128円だろうと、気にならなくなった。何だったら、198円の無農薬野菜買ってみようか?的な。でも、198円のほうれん草を手に入れられることにより、得られる幸福度は、99円のほうれん草を手に入れられた時の幸福度とさして変わらない。


でも、お金ないから、ほうれん草を買うのは諦めようとしたら、ほうれん草を買えた喜びは大きい。


つまり、生活において気にしなくていい=気を使わなくて良い=価格的にどうでもいいものの範囲が増えるだけであり、この範囲が増えることにより、得られる幸福度は大きくない。気にしなくなるだけ=感心を持つ範囲が狭まる。


好きの反対は、嫌いじゃない。無関心だ。という意味で、感心がなくなること=煩わしさが減る=幸福度とはつながらない。


とはいえ
年収が増えることそのものは、うれしい。なぜなら、仕事が評価されていると感じるから。そこのところを、年収Upによる幸福度と勘違いしては行けないと思う。年収が増える=評価が高くなっていると捉えると、味方が全く異なる。


1%でも、年収が上がるって、素晴らしい。なぜなら、去年の私より、今年の私の方が使えるんですよね?だから、使える金額に対する幸福度の問題だけじゃない。やっぱり、去年よりも1円でも高いって重要だと思う。だって、私の働く価値が上がっているんですもの。((笑))


続く