自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

絶対的な判断基準はあるか?

私は、基本的に、美しいものが好きだ。だから、迷ったときには、考える。その判断は美しいかどうか。美しいのならば選択しよう。そうでないのであればやめておこう。


もちろん、美しさは絶対的ではないので、曖昧って言えば曖昧な判断基準かもしれないけれど、例えば、人をいじめることは、美しいか?と言われたら、多くの人は、美しくないというのではないかと思う。私は、人をいじめることは、美しい行為だとは思えないので、人をいじめない。


例えば、ものすごく、気に入らない相手がいたとして、意地悪したい!と思ったとして、その感情が美しいのか?美しくないのであれば、その判断に従ってはいけない。


というところまでは、キレイごとで、本当に、腹が立ったら、その判断に従えないのかもしれないけれど、少なくとも冷静であるうちは、美しさの有無に従いたいと思う。


まさに、美学。


己の美学に従って、美しくないことは極力しない。
すごく、シンプルだけど、今の所、当てはまらなくて困ったことはない。


ついでにいうと、私は、挑戦好きで、何かに挑戦することは、美しい。
だから、考える。


2つあったら、どっちを採るか?
簡単な方と、困難な方。


言うまでもなく、私は、困難な方を選択する。だって、私にとっての挑戦は美しいから。


挑戦程度なら可愛いけれど、もっと戦う、例えば、戦争と平和、どちらが美しいか?
これも言うまでもなく、平和だろうと思う。


しかし、戦争が、急に美化されることがある。例えば、聖戦だ。
これは、特定の倫理や宗教観によって、戦いが美化される。例えば、それ外から見たらただの殺し合いであり、権力闘争であったとしても、理由付けによって、義が生まれ、正当化される。


ここらへんが、人間である所以であり、かつ、文化的時代的背景が大きく関わるところだと思う。
美学の基準はコロコロ変わりはしないが、時と場所によって変わる。


絶対的ではないにしても、自分の中の美学に従って、判断するのは、
結構便利だし、間違えにくいと思う。