自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

好きなものに囲まれて生きる

友人が、近藤麻理恵のお片付けのファンで、彼いわく、お片付けの魔法は、そもそも収納云々の話ではなく、人生のコンサルティングにつながるらしい。


つまり、トキメキを覚えないものを捨てて、トキメクものだけを手元においておくことこそが、正しい選択の方法である。というようなことを言っていた。


彼女の著書は読んだことはないし、私がこれから書くことと同じことかどうかは不明だけれど、おそらく、言わんとしていることは似たようなことではないかと思う。


私は、買い物の基準に、テンションが上がかどうかをおいている。すでに数十年を生きてきている今、新しく手に入れるものは、基本的にすでに一度手に入れたことがあるものがほとんどだから、好きな傾向はたいていわかっているし、モノの溢れた時代だから、よほどのことがない限り、選択権は自分にある。


例えば、アメリカに来て、手に入れた車は、一度目は学生時代、今回は二度目。私は、シングルタスクなので、マルチタスクが要求される車の運転は、最大苦手なことのひとつで、車こそ機能性だったり、乗りやすさだったり、目的やハイテク度で選ぶことが必要なのかもしれなかった。


けれど、全部無視して、試乗して一番テンションが上った車を買った。


何買ったかって、15年落ちのオープンのスポーツカーを買いました。


車高が低いので、視界が悪く、マニアックにハンドルは重いし、ガソリンはハイオク、リッター8キロしか走らない。バックモニタもガイドも何もついてない。故障リスクも高い。でも、エンジンの音は素敵に響き、加速は抜群、重厚な内装に流線型のフォルムが魅惑的。そして何より、コンバーチブルが好き。本当に走ってて風が気持ちがいい。


社交パーティが嫌いなのに、カクテルドレスを買ってしまい、普段着にしているみたいな感覚です。


車庫入れや普段使いの使い勝手の悪さに辟易としながらも、駐車場に行って、自分の車を目にして、乗車して走行性を感じるたびに、テンションが上がることを考えると、人生で車を所有する機会なんてめったに無いし、あーやっぱりこの車でよかった。と思い直します。


おしゃれをするってことは、楽じゃない。ハイヒールは痛いし、ネックレスは重いし、化粧には時間もお金もかかるし。とぼやく人をたまに見かけますが、まさに、その通り、美しく生きるってこととは、必ずしも、機能性や快適さと共存するものではない。(もちろん、共存するならばそれに越したことはないけれど)そうでない場合に何を優先させるのか。がモノ選びの醍醐味かと。


そんなときに、選択の判断基準になり得るのが、そのものが好きかどうか。妥協せずに好きかどうか。好きならば、ちょっとくらい難癖があっても許すよね。だってめっちゃテンション上がりますもの。いいでしょ。これ。って自慢したくなるくらい好きなもの。


最近は、必要不可欠な急ぎでない限り、たいていこんな基準でものを選んでいます。