自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

大丈夫、失敗は絶望じゃない

なにかに失敗して、自分の今までの言動を悔いる。


もっと他に、どうしたら、良かったんだろうか。
正解はあったんだろうか。
なぜ、あの偶然とこの偶然が重なったのだろうか。
自分のせいないのか?相手も、環境も悪かったのではないか。
私だけが否定されるのが正しいのか。


程度の差はあれ、概ねすべての状況が揃ったときに、失敗が起きる。失敗でなくても、例えば、事故が起きる。一番最初の記事に書いた唇を切った話も、以下の通り、壁に激突して切っているが、あと、10cm歩いた方向がずれていたら、ここまでひどい結果になっていなかっただろうと思う。


つまり、私の部屋の環境と、私の歩いた方向という偶然がすべて、重なったからこそ起きた事故であり、書いてはいないが、酔って寝たという私の失敗でもある。


失敗をして、旅行に行けないかもしれないという、痕が残るかもしれないという後悔と、その後全力を尽くした結果、うまく傷がなおったという成功。体に異常を持っての旅行という非常にが、私の失敗が招いた連続である。この連続が、失敗の産物となる。


失敗の産物は、絶望ではない。新たなる希望にもなりうる。見えていなかった世界が見えるきっかけにもなる。人生で推移している自分メーターがあるとすれば、そのメーターが負の方向に正の方向に振れる瞬間である。


これが、人間関係や仕事に関する、選択肢の多かった中で引き起こされた失敗だとしたら、正しく、自分自身を見つめる大きなチャンスになることは、間違いない。


大丈夫、大丈夫、この失敗で、この世は終わらない。
本当はどうすべきだったのかを考えよう。
もし、この結果を知っていたとしても、同じ選択しかできないのなら、自分を受け入れよう。
もし、この結果だと知っていたら、変えられる選択肢なら、反省して次に気をつけよう。
この失敗で私は、何を学んだのだろう。


でも、まだ、衝撃が大きい時、私は失敗という事実を受け止めきれない。忘却は人間の才能だから、少し、寝よう。少し寝て、ちょっと衝撃が薄れたら、ちゃんと考えよう。


絶望しない。希望をもつ。私は欲張りだ。こんなときこそ、たくさん望まなければいけない。