自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

死は怖くない。死を恐れることが怖い。

コロナの影響もあって、漫画をたくさん読んで、抽出した感想の一つが、


怖いのは、死ぬことじゃない。死を恐れて何もできないことだ。


どこかで主人公が言っていたのかもしれないし、私の感想かもしれない。漫画だと概ね200ページくらいを1時間で読めるから、一日中、12時間読めば、12冊読める。それを1週間とか、1ヶ月とか続ければ、数百冊。その数百冊からの感想の一つ。


生まれた限り、誰にでも平等に、確実にやってくるのが、死。
長いか短いかは人それぞれ。


生まれたというのを母のお腹の中で捉えるなら、世に出ることなく、亡くなることだってあるし、ギネス記録でいえば100年を超える寿命だってある。


つまり、人が人生で一回だけ平等に経験できるのが死。
そして、その使い所を間違えてはいけない。と思う。


死を恐れて、一番やってはいけないのが、他人を犠牲にすること。
自分を守るために、他人を犠牲にするのは、美しくない。


ただし、これは、命の重さが平等である場合に限る。命の重さが不平等である場合には、それを大いに活用しなくてはいけない。王様など主導者の命は、別格である。この人達は、他人の命を犠牲にしても、自分が生き延びて、その命の重みを背負い生きる必要があるし、いざというときには、他人の多くの命を守るために、自ら差し出すものである。つまり、


王様一人の命=多くの民や兵士の命


より価値の大きい方を選択するのが、王様の使命。王様って大変だわ。。。


他人を守るために、自分を犠牲にするのは、死を恐れなければ、楽だ。
結局、生きていくってなんだろうと考えたときに、例えば、1000年後に私のことを知る存在はいないと考えれば、すべてが、ちっぽけだ。私の命の長さが長かろうと、短かろうと、あまり、影響はない。


例えば、目の前に救える命が横たわっていて、私が負うべきリスクが50%(つまり死ぬ確率50%)だとして、私は、目の前の命を救えるだろうか。


私は、間違いなく、いろいろなものを天秤にかけるだろう。自分が相手を救うべき義務や責任。相手に対する関係性(愛情の深さと生への近さ)。その死によって残されるものの感情。その中で、最後に考えるのが、それでも、私は、この相手を助けたいか。死を恐れて助けない後悔がその後の人生にどのくらい重くのしかかってくるのか。だと思う。


今、目の前で死んでいる子どもたちがいます。というアフリカの飢餓の映像を見せられて、全財産を放棄すれば1000人の命が救えるとして、私は彼らを救わなかったことで、今、自分が何もせずに生きていることを後悔しない。


でも、自分の親だったら、たとえ、親が自分を救うなと懇願しても、50%の確率の死を恐れリスクを取らなかったとしたら、自分を後悔し続けるだろう。逆に私が死ねば親は残りの人生悲しみ続けるだろう。どちらをとるか。悲しい自分の人生か、悲しい親の人生か、両方助かる奇跡か。


こういうのは、究極の選択なので、そのときになってみないとどうするかはわからないけれど、普段から、考えてみるのも悪くない。自分にとって何が大切なのか。何を大事にしたいのか。史実には残らない小さな人生について、今日も考える。