自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

ニュースに真実はいらない

報道が伝えるべきは、事実であって、真実ではないと常々思う。真実を伝えていいのは、ドキュメンタリーで、ニュースではないと思う。


もちろん表現の自由もあるし、彼らに伝えたいものもあるだろうから、ニュース番組にドキュメンタリーの側面を入れたくなるのはわかるが、それはあくまでも事実を伝えた上で行ってほしいと思う。


釈迦に説法かもだけど、事実と真実の違いは、事実はひとつで、真実は人の数だけある。


例えば、
事実は、Aが階段から落ちて怪我をした。階段の上にはBが手を伸ばしてたたずんでいた。
Aの真実は、Bが急に目の前に現れ、ドキッとした瞬間に、階段から突き落とされた。
Bの真実は、目の前でAが階段から落ちそうになっていたので、手を伸ばして助けようとしたが、手が触れただけで間に合わなかった。
Cの真実はまた違うかもしれない。


黒澤監督の羅生門じゃないけれど、何が真実かなんてわからない。それぞれが真実であって、どれも間違っていないであろう反面、どれも正しいかなんてわからない。そんな不確かなものを報道しないでほしいと思う。ニュースは、淡々と事実を報道すればいいと思うけど、あまりそういうニュース番組はない。


時に、事実を述べるどころか、真実を捏造さえしている気がする。。。


個人の話がその象徴で、例えば、殺人事件があって、その被害者は、こんな夢があって。。。それを全て犯人が奪ったのです。みたいな、お涙ちょうだいものをニュースの一部として報道するのはクソだと思う。報道で、不必要に人の感情を操作したり煽ったりするのをやめてほしい。


私はそういうニュースをみると、腹しか立たないけれど、ニュースとドキュメンタリーに境目のない人や素直に信じる人が多ければ、妙な世論を作るきっかけにもなるし、今回のコロナも恐怖を煽動していると思うから、報道はそういう小細工はしないでほしいと常々願う。


つまり、真実はノンフィクションかドキュメンタリーに譲ってほしい。
そこでなら、泣けるし、ひとつの真実として受け止められる。