自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

美術館で 見つけられるもの

審美眼を持つ子供は、きっと、自分の将来を見つけられる。
審美眼を持たない子供は、世の中のセンスを良くする種を見つけられるかもしれない。
審美眼を持つ大人は、きっと、癒やしと感動と刺激をもらえる。
審美眼を持たない大人は、説明を聞いて、背景を知って、文化を学ぶ機会を得られる。


審美眼には絵との相性がある。


私は、19歳のとき、美術館で自分の将来を見つけた。いくつかの絵に見たものは、


「表現は言葉だけではない」


それが伝わってきたいくつかの作品の作者が、ターナーであり、ピカソであり、モネであり。振り返るとテイト美術館で、人生がかわったと思う。


つまり、私の目と感性は、テイトの作品と共鳴した。絵の前に立ち尽くして、泣く女と一緒に泣く。ピカソって、天才だと思った。


審美眼と言っても、様々で、一流のものは、現代作家を見つけられるキュレーターのものだろうし、贋作を見分けられる。アーティストを職業にできなかった私の審美眼は、さしたるものではないが、少なくとも、本物であろう油絵*の力は感じ取れる。(と思っている)。逆に、職人技が駆使された宗教画には魂の叫びみたいな力は感じず共鳴しない。私の審美眼が反応するのは、筆絵が多い。


美術館に行くと癒やされる。たくさんの絵が、私に心の静寂を与える。


一方で、審美眼のない大人、例えば、以前、ボストン美術館に一緒に行った会社の先輩は、最初から最後まで、


「大きい絵だね~」


と言って、感動していた。。。。大きさに感動することは悪いことじゃない。でも、美術作品に対してする感動でもない。。。そういう人は、美術館で、絵に話しかけられることはあまりない。だから、こちらから、学びに行けばいいと思う。例えば、その絵や作家のの背景と作品の流れを聞く、各時代や地域の文化を聞くことで、知識と目を同時に楽しませることができると思う。オーディオガイドをおすすめします。


続く


*例えば、教科書で有名なピカソのゲルニカ。私はこの絵を美術館で見ても全く何も思わなかった。だから、すべての良いと言われている作品が万人にとっての良い作品とは限らないと思っている。