自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

できることできないこと シングルタスクのメカニズム

続き


私は極端なシングルタスクだ。もちろん特定のことはマルチタスクもできるが、基本は、一度に一つしか処理できない。


先程の耳で拾った音の再現が、良い例ではないかと思う。つまり、人間の耳は音を拾うという作業とその拾った音を処理するということがひとつひとつのバラバラな作業を連続または同時にしている。


私はシングルタスクに加えて耳が良くないから、耳で拾った音が鮮明でない場合には、その音がどんな音だったのかを処理する時間がかかる。その間に、その音がもつ意味を理解するという別の作業ができないから、音そのものの識別後に、特定の意味を持つ言語への変換にまた時間を要し、一つ一つの作業を超低速で行うから、5分後にやっと意味が理解できるみたいな結果になるのだと思う。


逆に、音が鮮明である時には、その処理に手間取らないから、ニュースなどの情報系の録画は、2倍速でないと見られない。つまり、情報処理よりも聞く速度が遅くなると、コンマ数秒単位の細かい待ち時間が録画を見ている間中ずっと発生して、イライラするからだ。


逆に、ドラマ系などの物語ならば、その待ち時間に余韻を楽しめるので、問題なく見られるが、やはり私は自分のペースで読める本が好きだ。


マルチタスクの人は、このコンマ数秒の待ち時間を他の作業に使えるから、おそらく困らない。けど、シングルタスクの人間にとっては、ほかの何にも使えない無駄な待ち時間でしかない。


ということは、実はマルチタスクの人間というのは、情報処理が分断した状態でできる人なのではないかと思う。

つまり、シングルタスクを細かい単位で繰り返せる人がマルチタスク。一つの動作単位が長い人がシングルタスク。実際には、同時に何かをしているわけではなく、その連続性が淀みなく流れてみえているだけなのか?


次に考えられるのは、本当に同時並行で、処理されている状態。例えば、歩きながら考える。歩くのはやめなくても、考えることは続けられる。ただこれは、処理の自動化が行われているのではないかと思う。


自動化は、特定の動きを切り離す能力だと思う。私は、本当にきちんと考えたい時には歩けなくなる。立ち止まらないと考えられない。一方、口と指の動きは切り離せるから、口で違う番号を言いながら、指は別の番号を押す。これは、指の作業を自動化した結果だ。つまり、この自動化の作業にとって、口はBGMみたいなもので、なんとなく流しているに過ぎない。