望んでも叶わない人生
続き
当事者が自分だけの選択は簡単だ。自分の能力を考慮しながら、運に任せて努力すれば良い。けれど、相手のあることは自分の意志だけではどうしようもない。
例えば、会社の面接、例えば、恋愛、友人関係。一方的に想いを寄せても、相手から選ばれなければ、どうしようもない。運もあるし、所与の能力もある。羨ましかろうが、どう思おうが関係ない。
私が他人だったら、羨ましいと思う人生。それは、自分の子供のいる人生。
子供は、どうしても欲しかったから、色々努力してみたけれど、様々な理由から、叶わなかったし、たぶん叶わない。授かりものだとすれば、ひとつの生命が、私から生まれて来ることを望まなかったし、私にもその能力がなかった。羨ましくて羨ましくて、たまらないけれど、どうしようもない。
なぜ、羨ましいか?
私には、自分の命に代えても守りたいと思えるものがない。親については、死は怖くない。死を恐れることが怖いで書いたとおり。やっぱり、無条件に自分の命を犠牲にできるのは、自分の子供の命だけだと思う。
私はそんなに大切なものを持っていないから、持っている人が羨ましい。
どうしようもないものは、潔くあきらめよう。
子供の代わりに猫でも飼おうか?独身女性の寂しさの象徴みたいな、マンション買ってペットを飼う。前に流行った負け犬の遠吠えに通ずるものがある。けれど、私の叶わなかった願いと現実からは、相当にポジティブな選択肢のひとつだと思う。笑
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