自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

日本人とは? 家屋の造り

日本家屋には様々な特徴がある。
私は建築の専門家ではないので、多少間違っている部分もあるかもしれないけれど、それはご愛嬌ということで。すみません。


言いたいのは空間の境目の曖昧さ。外と内の空間も曖昧であるが、部屋の仕切りも曖昧である。つまり自在に、収縮でき、かつ、境界線が薄い。


縁側や土間がその象徴であるし、襖という仕切りもその一つ。


その空間に家族が住み、地域社会とつながる。
縁側で近所の人とお茶を飲み、土間には野菜が届けられる。


私の実家も、縁側があったし、子供の頃は、家に鍵がかかっていなかった。
そもそも、家の玄関に外から開けられる鍵は存在していなかった。
が、時代の流れ?か、改築した2000年頃に、ついでに鍵を作成し、今では、オープンな出入りはできない。が、名残?としては、我が家に門はない。正確に言えば、昔、門がついていたが、面倒なので、開けっ放しだったものを、改築で取り払った。


先に書いた、日本人とは?セックス倫理とも密接で、例えば、夜這いは、家屋がオープンでないと成立しないし、長屋は井戸などを含め、共有スペースが前提となった空間である。また、家そのものが仕切りのなさと相まって、個人主義とは真反対の造りになっている。つまり、日本人は、他人との境目が限りなく曖昧な民族なんだと思う。


オランダのリートフェルトという建築家が作ったシュレーダー邸というのが、まさに日本建築の良さをそのまま取り入れた風変わりな建物と言っていいと思う。


10年くらい前に、一度訪問したことがあるが、まさに、忍者屋敷ですか?というようなおもしろい場所だった。外と中の空間の曖昧さをおしゃれにセンスよく西洋風にアレンジされている。しかし、年数たって、ギシギシ言っているので、そのうち、こんな開閉デモはしてくれなくなるんじゃないかとは思った。


個人を前提とした現在の家屋が、本来、個が曖昧な文化を持つ日本人の心理にどういう影響を及ぼしているのかはわからない。私は、個別の空間が心地よいと思う反面、少しさみしさも感じる。慣れの問題かもしれないし、本質的かつ潜在的な嗜好は別のところにあって、また、オープンな空間に戻されたら、心地よいのかもしれない。もし、私が、田舎に住むことがあるなら、地域との関わりが存在する社会に住むならば、順応して縁側のある家に住むのもいいかもなぁと思う。