自由に楽しく分析して生きる道

超ポジティブな思想哲学:海外目線をからめてオチのある話を書きます。

シンデレラ、誰が悪者か?

のまっど

私は、凡人なので、普通に、やっぱ意地悪な継母とお姉ちゃんたち、やなやつだよね。絶対に関わりたくないわ~と思っていた。


私の友人も凡人なので、笑、シンデレラを見ている幼稚園児の我が子にこう話しかけた。


「本当に、お母さん、意地悪でワルモノよね?」


でも、娘は、しばらく考えて、こう答えた。


「悪いのは継母じゃないと思う。本当にだめなのはお父さんだと思う。なんで、継母を選んだの?」


「。。。。?。そうね。結婚しなかったら、シンデレラもいじめられなかったのにね。。。」


私は、この話を聞いたときにとても驚いた。
悪の根源をきちんと追求できる理論思考ができることにも、もちろんだけれど、当時の彼女は文字も時計も読めないし、曜日もわからない。私が留学したときには、1ヶ月後にね~って言ったのに、3日後くらいから、明日帰ってくる?って質問をし続けたくらいで、いわゆるお勉強ができる早熟なタイプの子供ではない。


にもかかわらず、シンデレラがいじめられた悪の根源は父親だと考えられる。。。。。
しかも、間合いからして、ちゃんと、考えてから、答えている。


人には、人それぞれの才能がある。さらに大きくなった今も、彼女は決して学校で優秀なタイプではない。その他にも、いろいろなエピソードがあるが、母親から報告を聞くたびに、よく考えられていて、面白いと感心する。学校のお勉強ができなくても、彼女はとても賢い。と思う。偏差値では測れない賢さがあることをしみじみと感じた。

倫理を無視してみよう

のまっど

倫理観を無視して、ものごとを考えると、意外な角度で、世界が見えるような気がする。


つまり、悪いと思われていることが、良くなったりする。
例えば、


殺人


当然に、いいことのはずがないけれど、ひとたび、戦争になれば、より多く殺したものがより英雄になれる可能性もあるし、たくさんの人を殺した参謀や将軍、王様も歴史に残る。


つまり、悪いことに悪いことを掛け算する。ネガティブ×ネガティブはポジティブになる。


戦争×殺人=英雄


倫理的に考えれば、戦争も殺人もどうやっても、してはいけないものだけれど、倫理観をすっ飛ばせば、英雄を作る歴史的な機会であるとも言える。



では、もう少し、人生において、身近な事象ではどうだろうか。


復讐


私は、本、特に漫画が好きなので、よく漫画の主人公の人生について考える。先日読んだウロボロスは、まさに人生をかけて、復讐に挑む話。


主人公は、幼い頃に殺人事件に遭遇。殺されたのは、最愛の家族のように過ごした他人(愛した女性)その犯人探しと犯人を殺すことが目的で、約20年間を復讐のためだけに生きる。という内容。


ま、漫画なので、色々脚色はあるとして、ふと、この人達は、自分の人生をすべて復讐のために使い、普通にリラックスして楽しい~平和~と思うような時間を過ごすことなく、常にリスクと背中合わせに生きていることが、不幸なのか?と思った。


もちろん、話の中で、主人公たちは、人を騙すし、殺人もする犯罪者だから、そもそも、倫理的には間違っているのだけれど、倫理を無視してみると、常に刺激があって、意外と悪くない人生なのかもしれないと思った。


つまり、平和で、退屈な生活よりも、人生をかけた目的があり、その目的のためだけに生き、常にドキドキハラハラしながら感情的な時間を過ごし、さらに、その目的が達成できたとしたら、それは実は、すごく幸福なことなんじゃないかと思う。しかも、自分の一生をかけるくらいに好きな人を純粋に思い続ける人生なんて、とっても素敵なことだ。


ただ、世の中には、倫理という楔がある。


倫理的に見れば、復讐も、殺人も、戦争ももちろんだめですわ。
でも、歴史的には、たくさん起きているこれらの事象も、角度を変えて、時代を変えて、倫理をすっ飛ばすと、正当化されるんだろうなあ。と思う。

溶けるほど気持ちいい

のまっど

欲が満たされた瞬間は、気持ちいい。
食欲、性欲、睡眠欲が満たされた瞬間は気持ちがいい。


すごーく美味しいものを味わった時、好きな人とセックスしたときに感じるエクスタシー、眠くて眠くて仕方ないのを我慢して、眠りに落ちてゆく瞬間。それらは、恍惚の瞬間。でも、どれも、そんなに長く続くものではない。つまり、瞬間。


努力が報われた時は、気持ちがいい。
この気持ちいいは、費やした時間と集中と努力の重みに比例するものだと思う。
そして、それなりに長い時間継続する。


北島康介が、水泳で勝った瞬間に「気持ちいい」と言ったのは、有名だけど、たぶん、彼が感じた気持ちよさを共有できている人は、ほとんどいないだろうと思う。ただ、凡人には、まず体験できないほど、すごいものだったであろうことは想像できる。


私は、一度だけ、ランナーズハイのようになったことがある。たぶん、興奮冷めやらぬ時間は、半日くらいだったか?とにかく溶けるほど、気持ちよかった。


すべての感覚が、天井を推移しているような感覚で、エネルギーと自信に満ち溢れている。あー、これが、ランナーズハイというものなのか?今、私は何でもできる、この世が恍惚として見える。


アメリという映画で、主人公が、宝箱を持ち主に返すというプロジェクトをして、それが成功したときに、世界と自分がつながっているような素晴らしい気持ちになったという場面があるが、まさに、映像化するとそんな感じのことなんだと思う。


私が、ハイになった理由は、さっき書いた受験の時。合格したときではなく、初めて受験して、不合格を確信した時。めちゃくちゃ努力して、もうこれ以上ないってくらい努力して、でも、時間が足りなくて、未完成のまま望んだ試験で、あー、これ、行けるわ~、あとちょっと、時間があれば、絶対合格するわ。と問題を解きながら思った。その瞬間に訪れた脳天が突き抜けるような感覚。全知の神になって、自分の運命を見通せたみたいな感覚。


オリンピックで活躍するような選手は、人生で何度も経験しているのかもしれない。今の所、私の人生では、一度だけ。もう一度、その感覚を得るために努力したいか?と言われれば、どうだろう?笑。その前に、年をとると、どんどんナマケモノになりますから、そもそもできないかもしれない。


人生、できるときに、できることを!がいい。